スマート・エイジングとは
スマート・エイジングとは、「私の活動」で述べたように私が2006年に提唱した超高齢社会の加齢観です。
スマート・エイジング(Smart-Ageing)」のもともとの定義は「エイジングによる経年変化に賢く対処し、個人・社会が知的に成熟すること」です。
少し拡張した定義では、スマート・エイジングとは「個人は時間の経過とともに、たとえ高齢期になっても人間として成長でき、より賢くなれること、社会はより賢明で持続的な構造に進化すること」を意味します。
齢を重ねるにつれ、私たちの体や心は、いろいろな面で変化します。ただ、この変化は、あいにく私たちにとって必ずしも都合のいいことばかりではありません。むしろ辛いことが多いのが現実です。
しかし、そういう変化にもっと賢く対処する生き方を考えましょう、そして、それを考え続けることを通じて私たちはもっと成長しましょう。そういう意味合いを込めたのが、このスマート・エイジングという言葉なのです。
私たちは生きている限り、必ず歳をとります。しかし、歳をとることがいいことか悪いことかを決めているのは、実は私たち自身です。そうであるならば、私たちは歳のとり方を主体的に選ぶことができるはずです。
歳をとるにつれてそのまま朽ち果てていく生き方を選ぶのか。それとも、齢を重ねるごとにより賢く輝いていく生き方を選ぶのか。私は多くの人が後者を選ぶことを希望します。
世阿弥『風姿花伝』に見るスマート・エイジングの思想
『風姿花伝』は、室町時代初期の申楽(後の能楽)師、世阿弥が記した能の理論書です。このなかに「時分の花」と「まことの花」という言葉が出てきます。
「時分の花」は、若い能の演者には誰にでも備わっていますが、やがてそれは失われていきます。少年の愛らしさ、青年の若さゆえの美しさや躍動感や体力を意味しています。
一方、「まことの花」は、芸を磨く精進をした者だけが手にすることができるもので、これは生涯失われることがありません。老いが容姿や体力を奪い、「時分の花」を奪っていっても、努力を続け「まことの花」を咲かせて芸術を完成させることが大切であると世阿弥は説いています。
ちなみに、この「時分の花」、すなわち若さを失う代償として、「まことの花」、すなわち何か新しい知恵や知識や技能を得る努力や試練を、世阿弥は「初心」と呼んでいます。「初心忘るべからず」とは、一生前向きに努力をし続けよ、との意味になります。
この世阿弥の言葉を借りれば、散ってしまった「時分の花」を振り返る後ろ向きの生き方ではなく、積極的に「まことの花」を咲かせようとする前向きな人生のあり方がスマート・エイジングです。
私たちが「まことの花」を咲かせることは、年齢を重ねるにつれて物事の見方が深まり、視野が広がることで人生が豊かになっていくことを意味します。