認知症への恐怖と対認知症療法のニーズは日本以上に大きかったアメリカ
2011年5月、アメリカ・オハイオ州クリーブランドにあるエライザ・ジェニングス・シニア・ケア・ネットワーク社(以降、エライザ社)が運営する高齢者施設で学習療法が始まりました。
薬を使わない日本発の対認知症療法がアメリカで実施されたのは、これが初めてのことです。当時、日本では東日本大震災が起きて2か月後で、日本国内ではその話題が中心でした。
ところで、なぜ、アメリカなのか?実は私がアメリカには対認知症療法に大きなニーズがあることを感じていたことが大きな理由でした。
第40代アメリカ大統領のロナルド・レーガンが1994年に自らアルツハイマー病であることを告白したことで、アメリカ人の認知症に対する認識は大きく変わりました。
また、映画『ベン・ハー』でアカデミー賞主演男優賞を受賞したハリウッドの大スター、チャールトン・ヘストンも2002年に自らアルツハイマー病であることを公表し、世間の注目を浴びました。
テレビでは、日本では見られないアルツハイマー病初期の治療薬・アリセプトのコマーシャルが頻繁に流れ、新聞や雑誌でもアルツハイマー病に関する記事が頻繁に見られます。
こうした背景からか、アメリカでは認知症=アルツハイマー病というイメージが強いのです。世論調査などでは中高年が恐れる病気のトップは、従来はがんだったのですが、最近はアルツハイマー病がトップに挙がるようになっています。
にもかかわらず、アルツハイマー病は、まだその原因がよくわかっておらず、認可されている治療薬も限定的な効果しかありません。
このため、いったん、アルツハイマー病(つまり認知症)と診断されたら、治癒することも改善することもなく、記憶を失い、自分で自分のことがわからなくなり、周囲に迷惑をかけて、あの世にいく、という先入観がかなり強いのです。
このような事情を知っていた私は「学習療法はアメリカでも求められるはずだ」と予感していました。
全米最大のCCRC エリクソン・コミュニティズが学習療法に興味を示した
2009年の冬頃から、AARPの後押しも受け、学習療法に興味を持ってくれそうな人を探し始めました。
知人の一人がエリクソン・コミュニティズという当時、全米でトップクラスの規模のCCRC(アメリカ式の大規模な老人ホーム)運営会社の社長補佐を務めていたことを思い出し、彼に学習療法の説明をしました。すると、「これは面白い」という反応があり、入居者コミュニティで説明会をアレンジしてもらうことになりました。
2010年の夏にワシントン郊外のメリーランド州ボルティモアにある入居者コミュニティに、私とくもん学習療法センターのスタッフ、道海永寿会永寿園の山崎園長が訪問し、全米初の説明会を開催しました。
すると、どうでしょう。アメリカ人の入居者とスタッフが皆驚きと称賛の声を上げるではありませんか。
「これ(学習療法で認知症が改善すること)は本当か?もし、本当なら、これは天からの光だ」
入居者とスタッフの予想外の大きな反響に驚き、熱狂する入居者を見て私たちも熱くなりました。入居者もスタッフも「希望」を求めていたのです。
リーマンショックによる長い苦戦の始まり
しかし世の中、何事もそう簡単には進みません。ここまで比較的トントン拍子でやってきて、さあ、いよいよアメリカでもやるぞ、と関係者一同の気持ちが高ぶった矢先、エリクソン社が「チャプターイレブン」を申請したという知らせが飛び込んできました。
チャプターイレブンとは連邦倒産法第11章のこと。つまり、倒産したということです。私たちは一瞬耳を疑いました。入居者とスタッフとの熱狂的な出会いからわずか2か月半後のことでした。
エリクソン社は、倒産する前年度まで、有名なフォーチュントップ500企業にランクされ、従業員が働きたい会社のトップ100に入っていた「超優良企業」だったのです。
しかし、2008年に起きたリーマンショックの影響で、開発案件を多数抱えていた同社は資金繰りに行き詰まり、創業26年の超優良企業でも、あっけなく倒産してしまいました。
私たちは本当にがっかりしました。ショックでしばらく言葉が出ないほど落ち込みました。しかし、ほんの2か月半前に自分たちが直接、肌身で感じた「あの熱狂」の感覚を忘れることはできませんでした。私たちは、何とか気を取り直してエリクソン社に代わるパートナーを探すことにしました。
ところが、ここからが本当の苦労の始まりでした。エリクソン社から紹介してもらった会社や私の知人の知り合いなど、ありとあらゆるツテを頼って探索活動を続けました。
しかし、そう簡単にはいきません。まず、アメリカは日本に比べて圧倒的に国土が広い。しかも、何千とある高齢者施設のなかから、こちらの希望する条件に合致するところを探し出すのは、砂漠の砂の中からダイヤモンドを探し出すのに似た感があり、至難の業です。
時には一日にミーティングを5件行い、夕方に飛行機で次の場所に移動し、翌日にまた5件のミーティングを行うということもありました。にもかかわらず、なかなか適切なパートナーが見つかりませんでした。
当初、アメリカで学習療法が受け入れられなかった「5つの理由」
アメリカ人に学習療法の説明をすると、10人中9人が「これは面白い」と言います。ところが「あなたのところでやってみませんか?」と打診すると、誰も首を縦に振りません。この繰り返しです。
こうした過程を通じて、私はなぜ学習療法がアメリカで容易に受け入れられないのか、その理由がだんだんとわかってきました。
理由1.アメリカ人は、アメリカでアメリカ人を対象にしたデータを求める
第一に、アメリカ人は、アメリカでアメリカ人を対象に学習療法を実施したデータを求めるということです。
いくら日本で素晴らしい結果が出ているといっても、「所詮それは日本での話でしょう?アメリカではどうなるか、わからないよ」という反応が多いのです。自動車やカメラなどは無条件にメイド・イン・ジャパンのものを買っても、対認知症療法は同じようにはいかなかったのです。
理由2.アメリカでは日本以上に脳トレプログラム対する警戒感が強い
第二に、アメリカでは日本以上に脳トレ(向こうではブレインフィットネスという呼び方が多い)のソフトやプログラムが氾濫しており、「認知機能の改善」や「脳の健康に良い」と謳う商品やサービスに対する警戒感が日本に比べはるかに強いことです。
事実、いかがわしいものも多く、FDA(食品医薬品局)という日本の消費者庁のような機関が誇大広告などに対して厳しく目を光らせています。
学習療法は、その効果が科学的に検証されており、アメリカの権威ある学会誌にも掲載され、認められています。にもかかわらず、残念ながら、既存のいかがわしいものと一緒くたにされてしまうことも多いのです。
理由3.効果はあるかもしれないが手間と労力が相当かかり、高コストと思っている
第三に、高齢者施設の経営者は、学習療法に対して「効果はあるかもしれないが、手間と労力が相当かかり、コストが高いのではないか」という疑問を持つこと。
また、施設のスタッフは、「現在抱えている業務だけでも忙しくて目いっぱいなのに、さらに追加作業はとてもじゃないができない」と言います。
理由4.薬を使わない学習療法で本当に認知症が改善できるのかと疑っている
第四に、高齢者施設の経営者もスタッフも、「薬を使わない学習療法で本当に認知症が改善できるのか?」と疑います。
実はこの第三と第四は、かつて日本の高齢者施設でさんざん耳にしたのとまったく同じ反応でした。
経営者は常に施設運営でのコスト増を嫌います。また、スタッフは、自分の仕事がこれ以上増えることを嫌がります。「仕事が増えても給料が増えるわけでもなく、認知症ケアの負担だけが増える、そんなのゴメンよ」という反応です。
また、日本でも施設によっては薬を使わないさまざまな対認知症療法に取り組んでいます。しかし、改善効果が明らかでなかったり、効果の度合いが属人的スキルに依存し、再現性に乏しかったりすることが多く、手間がかかる割に本当に有効なのか疑わしいと思っている人も多いのです。
アメリカの高齢者施設の関係者とのやりとりを通じて、私は介護や高齢者施設経営の世界は、アメリカも日本もそれほど変わらないのだということを実感しました。
理由5.研究者は自ら決して主導的役割を担おうとはしない
第五に、研究者のほとんどは、学習療法に興味を持つものの、自らは決して主導的役割を担おうとはしないことです。
私は数多くの有力大学の著名な学者たちと会い、アメリカでの学習療法の実現への協力を呼びかけました。多くの場合、学習療法に多大な興味を示してくれます。ある大学のアルツハイマー病研究で著名な研究者(エーザイのアリセプトの開発原理を提案した人)とは2日間で延べ12時間の議論をしました。
また、別の著名な研究者からは「もし、アメリカで実証トライアルをやるなら、ぜひ、自分もメンバーに加えてほしい」と言われました。
しかし、結局のところ何も起こりませんでした。理由は、率直に言えば、彼らにとって認知症は研究の対象であり、それが解決されなくても直接的には彼らには何の不都合も生じないからです。
「アメリカ版山崎園長を探そう」との方針転換が停滞する流れを変えた
エリクソン社の破たん後、パートナー探しを始めてから7か月が経過しても一向に事態が前進しない状況が続き、私たちのなかに何となくあきらめムードが出てきました。
その一方で、エリクソン社で体験した入居者とスタッフの熱狂はまだ忘れられませんでした。学習療法がアメリカで受け入れられない先の5つの理由がよくわかってきたことから、私たちは改めて対策会議を聞きました。
「この状況を打開するにはどうすればいいのか?」。私は10年前に日本で最初に学習療法を始めたときの話を尋ねました。
学習療法は脳科学研究の成果を現場で実証してみたい川島教授と、認知症の人の介護に携わっていた高齢者施設・永寿園の山崎律美園長、そして両者の仲立ちをした公文教育研究会の三者による「運命の出会い」からスタートしたのです。私たちはふと気がつきました。
「認知症で一番困っている人こそが、学習療法を求めているはずだ。認知症で一番困っているのは学者ではない。認知症介護で苦悩している家族とスタッフを何とかしたいと思っている真摯な高齢者施設の経営者のはずだ」
私たちは方針転換をしました。「アメリカ版山崎園長を探そう」と。学習療法を本当に求めていて、それを実現できる力のある経営者を探しだそう。
私たちはこの方針で、もうしばらくチャレンジすることを決めました。一方で、もし、これでだめなら潔くあきらめようと決めました。
私は「アメリカ版山崎園長を探している」と題した手紙を書き始めました。アメリカ版山崎園長とはどういうことを意味するのか、アメリカ版山崎園長にはどのような条件が必要なのか、学習療法とはどういうものでどんなメリットがあるのか、などを書き連ね、これはと思う人に声をかけて打ち合わせのアポをとってほしいと結び、アメリカの友人たちに送りました。
すると、こちらの思いが通じたのでしょうか、ニューヨークとオハイオ州クリーブランドの友人たちが、現地の高齢者施設の経営トップ向けの個別アポと説明会をアレンジしてくれたのです。
ニューヨークとクリーブランドで勝負をかけたプレゼンを実施
2010年6月、私は勝負をかけるために、まずニューヨークに向かいました。ニューヨークでは、2日間の滞在で5つの施設でのミーティングとアルツハイマー協会ニューヨーク支部での関係者20名へのプレゼンを行いました。
ニューヨークでの格闘の結果、ニューヨークでも屈指の著名な高齢者施設が最も大きな関心を示し、私からの要請に応じて日本で実施している学習療法の現場見学と関係者とのミーティングのために訪日を検討したいと言ってきました。
私は少しだけうれしくなりました。しかし、まだこの段階では何も確定したわけではありません。
一方、ニューヨークに続いて訪れたクリーブランドでは、地元で有名な4つの高齢者施設の経営トップと全米トップ4にランキングされる著名な医療機関、クリーブランド・クリニックの関係者が集まった場でプレゼンを行いました。
ニューヨークでもそうでしたが、学習療法の内容について細部にわたり突っ込んだ質問を受けました。
いつものことなのですが、先に挙げた次のようなネガティブな質問を機銃掃射のように受けました。
「効果はあるかもしれないが、手間と労力が相当かかり、コストが高いのではないか?」
「既存の脳トレと何がどう違うのか?」
「薬を使わない学習療法で本当に認知症が改善できるのか?」
「アメリカでの検証データはあるのか?」
「日本ではうまくいってもアメリカでうまくいくとは限らないのではないか?」
しかし、ここまでくるとおおよそどんな質問をしてくるのかが想定できているので、質問に対してはデータがあるものはデータを見せ、日本での実績、つまり私たちがやってきた事実を基に説明するよう心がけました。
そして、説明会も佳境に入ったとき、一人の女性CEO(最高経営責任者)が、突然手を挙げて発言しました。「これを今すぐやりたい。どうすればいいのか?」。
エリクソン社での熱狂以来、久しく聞くことのなかった前向きな言葉を聞いて、私は胸が熱くなりました。高ぶる気持ちを抑えて、私はこう話しました。
「ありがとうございます。そのお言葉をいただいて本当にうれしく思います。ですが、学習療法を実行するのに私の話を聞くだけでは不十分です。ぜひ日本に来て実際に取り組んでいる施設の生の姿を見て、担当しているスタッフや施設経営者、事業を運営しているくもん学習療法センターのスタッフと意見交換をしたうえで、納得がいくならぜひ一緒にやりましょう」と。
その女性CEOは「わかりました。隣にいるCOO(最高執行責任者)と日本に行きます。適切な時期を知らせてください」と答えました。
説明会が終わり、別れの挨拶をする際に、女性CEOは「次は日本で会いましょう」と私と固く握手をしました。
説明会が終わってから、私は今回の説明会をアレンジしてくれた友人と余韻に浸りました。「ついに、アメリカ版山崎園長が見つかった……」。その女性CEOこそ、創業120年の歴史を持つ高齢者施設エライザ社のデボラ・ヒラーだったのです。
ニューヨーク屈指の高齢者施設CEOから訪日の打診を受けるが・・・
クリーブランドでの説明会の後、先に訪れたニューヨークで最も感触の良かった施設からも訪日の意思表示がありました。ところが、その条件として「ニューヨークと日本との往復の航空運賃、滞在時のホテル代、食事代などを負担してほしい」という打診を受けました。
順序としてはこちらが先であり、やっとの思いで見つけたパートナー候補でもあります。しかもニューヨーク屈指の高齢者施設であることから、私たちは少し迷いました。
一方、エライザ社に来日の意思を再度確認すると、彼らは渡航費は自費で賄うつもりとのこと。そこで、ニューヨークの施設に「当方では滞在時のホテル代や食事代を負担するのは構わないが、日米間の航空運賃は負担できない」と突っぱねました。
これに対し、先方から「今回は残念ながら訪日を見送りたい」との返事がきました。この瞬間、私たちはエライザ社と優先してプロジェクトを進めることを決めました。
ここで誤解のないように補足すると、私たちはニューヨークの高齢者施設の「あご足代」を支払うのが惜しくて彼らの要求を突っぱねたのでは決してありません。
もし、私たちが先方の「あご足代」を負担してまで来日してもらったら、恐らく彼らは観光旅行同然の遊び気分になり、その後の関係構築にマイナスになると考えたからです。
学習療法が自分たちにとって絶対必要だと本気で思うならば、たかが日米間の航空運賃などどうにでも手当てできるはずです。私たちは彼らの本気度を確かめたかったのです。
共同で何か事業をやる場合に最も大事なのは「誰とやるか」
こういうことは学習療法に限らず、共同で何か事業をやる場合に絶対に必要な過程です。
パートナーと何をやるかももちろん大事ですが、最も大事なのは「誰とやるか」です。この選択を誤ると、後々時間的にも経済的にも大きな損失を被ることになるからです。
こうしてエライザ社は、2010年9月に初めて来日し、永寿園をはじめ、学習療法を実践している複数の高齢者施設を訪れ、くもん学習療法センターのメンバーと打ち合わせを行い、仙台のSAセンターにもやってきて、学習療法の現場を自らの目で見て確かめ、体で確認して、アメリカでもやれるという確信を得て帰国しました。
以降、アメリカでの態勢づくり、2011年2月には担当する3人の現場スタッフを引き連れての再来日、英語版教材づくり、スタッフの研修を経て、5月にはアメリカ・オハイオ州クリーブランドにあるエライザ社の介護施設で、日本以外では初めてとなる学習療法のトライアルがスタートしました。
そして、6か月間のトライアルで、私たちはついにアメリカにおいて、アメリカ版の教材(読み書き教材が英語になっています)で、アメリカ人スタッフがアメリカ人の認知症の方に学習療法を実施し、MMSE(認知機能検査)、FAB(前頭葉機能検査)といった脳機能の評価データを得ることができました。
その結果、日本で学習療法を実施している優秀な高齢者施設の水準に勝るとも劣らない素晴らしい成果が得られたのです。もちろん、この成果を得るために、くもん学習療法センターのスタッフの皆さんの並々ならぬご尽力があったことを忘れることはできません。
学習療法の国際展開で学んだ「3つのこと」
この学習療法のアメリカ展開で私たちが学んだことはたくさんあります。
第一に、外国人でも生活水準がある程度同じなら、求めるものはほぼ同じであること。つまり、アメリカの認知症高齢者とその家族の求めるものは、日本のそれとほぼ同じであることが確認できたことです。
また、介護の世界における課題も日米でそれほど大差はないことも確認できました。これらは当初よりある程度予想はしていましたが、実際にやってみたら、ほぼ予想どおりだったということです。
こうして言葉にすると簡単に聞こえますが、単なる予想と実際にやってみることとは、その意味が全然違います。実際にアメリカ人スタッフが、アメリカ人の認知症の方に実施して見事に効果が出たという事実が何よりも重要なのです。
なぜなら、その事実がなかったことが、アメリカ人が学習療法を信じようとしなかった理由のひとつだったからです。
なお、この成果は米国の著名な医学雑誌JAMDA(Journal of the American Medical Directors Association)に学術論文として公開されています。
第二に、何か新しいことにチャレンジするときには、物事の本質的な理を踏まえ、信念を貫けば道は開けるということです。
「認知症で一番困っている人こそが、学習療法を求めているはずだ。認知症で一番困っているのは学者ではない。認知症介護で苦悩している家族と、スタッフを何とかしたいと思っている真摯な高齢者施設の経営者のはずだ」という原点に立ち戻ったとき、迷走しかけていた私たちの視界が開けました。
そして、「何が何でもアメリカ版山崎園長を探す」と念じ、探し続けた結果、道が開かれたのです。念ずれば花ひらく、です。
第三に、社会のために役に立つことを大義とすることです。
ニューヨークとクリーブランドで高齢者施設の経営者への説明の機会をつくってくれたのは、私の信頼する友人たちでした。
しかし、信頼する友人たちとはいえ、単なるビジネスパートナー探しの相談であれば、忙しい彼らはあそこまで動いてくれなかったでしょう。
彼らが一生懸命動いてくれた大きな理由は、不治の病のように思われている認知症が、薬を使わない簡単な読み書き計算とコミュニケーションで改善していくという学習療法に未来への希望を感じたからです。
残念ながら一緒には歩めなかったエリクソン社の入居者が「これは本当か?もし本当なら、これは天からの光だ」と熱狂していたように、認知症が改善するという事実は、アメリカ人にとっても大きな希望の光なのです。
日本だけでなく、アメリカで認知症に苦しんでいる人たちにも、認知症になってもあきらめる必要はなく、ちゃんと改善する実用的な方法があるのだ、ということを伝えたい強い思いが彼らに共感されたのだと思います。
とはいえ、このアメリカでの展開は、まだささやかな第一歩でしかありません。
しかし、ささやかな第一歩でも、自ら実際にやってみたことで、日本発の高齢化対策が世界でも求められるようになるという予感が実感に変わりました。これは大きな前進だと思います。
参考文献
スマートエイジングという生き方 (扶桑社新書) 川島 隆太 (著), 村田 裕之 (著)
実践ソーシャルイノベーション – 知を価値に変えたコミュニティ・企業・NPO 野中 郁次郎 (著), 廣瀬 文乃 (著), 平田 透 (著)
SAIDO Learning as a Cognitive Intervention for Dementia Care: A Preliminary Study