シルバー産業新聞 連載「半歩先の団塊・シニアビジネス」第156回
高血圧は心血管病の最大の危険因子で、高血圧に起因する死亡者数は年間約10万人と推定される。
こうした背景の下、高血圧で悩む高齢者を対象にした「減塩食」が花盛りだ。減塩気配り御膳、減塩レシピ、減塩配達食など、様々な減塩食が世に出ている。
しかし、実際食べてみると、残念ながら比較的高価な割に「まずい」ものがほとんどだ。実はこうしたまずい減塩食に対する文句は、老人ホームでのクレームの筆頭でもある。
塩分少なめでも美味しく食べられる方法は、焦がし醤油や焼いたベーコンの「香り」を添加する、おしゃれな器で「見た目」の美しい盛り付けをするなどの方法がある。
これらの方法は、『「おいしさ」というのは「味覚」や「嗅覚(きゅうかく)」、「体性感覚」、「記憶」などを脳で統合して感じるもの』という食心理学の知見に基づく。問題はそれをコストの制約の中でいかに実現するかだ。
だが、問題の本質は、そもそも減塩食が本当に高齢者の高血圧対策になっているのかという点だ。
高血圧症の90%以上は、明確な原因が特定できない「本態性高血圧症」と呼ばれるものだ。これは塩分だけでなく、多くの因子が絡み合って発症する「多因子疾患」と考えられている。
この症状の人は「食塩感受性」と「食塩非感受性」の二つのグループに分けられる。食塩感受性の人は食塩の摂取で血圧が上昇しやすく、減塩で速やかに血圧が下がる。
一方、食塩非感受性の人は食塩を多く取っても血圧上昇は軽度だ。ということは、減塩してもほとんど反応しないのだ。
近年の研究で、この食塩感受性は特定の遺伝子で規定されることがわかってきた。実は食塩感受性の遺伝子を持つ人は日本人全体の二割程度と言われている。ということは、減塩食を食べても高血圧症の改善が期待できない人がかなり多いことになる。
ゲノム医療の最先端研究拠点である東北大学東北メディカル・メガバンク機構の山本雅之教授によれば、採血による遺伝子診断で食塩感受性の有無は容易に鑑別され、個々の症例に応じた、より的確な治療・予防が近いうちに可能になるという。
例えば、ある人が食塩感受性遺伝子を持つことがわかれば、1日5グラム以下といった食塩摂取制限により高血圧の発症を予防できる。
一方、この遺伝子を持たないことがわかれば、たとえ高血圧症でも食塩制限はあまり必要でないと判断される。そうなれば、冒頭の「まずい」減塩食を食べる必然性はなくなるのだ。
もちろん、この場合、減塩食以外の別の高血圧症対策が必要なことは言うまでもない。言いたいことは、高血圧症だからと一律に減塩食を強制的に食べさせられている高齢者が、最新の科学的なエビデンスに基づけば、食べたいものを食べられる自由度が上がることだ。
ゲノム医療の重要ターゲットは、本態性高血圧症のような多因子疾患のリスク予測になってきている。この理由は多遺伝子のリスクスコアに関する研究が近年大きく進展し、多因子疾患の発症リスク予測が比較的容易に実施できるようになりつつあるためだ。
「高血圧には減塩食」という常識が、実は常識でなくなる時代はすぐそこに来ている。減塩食を食品としている企業は、近い将来、商品戦略の大幅な見直しが必要となろう。