シルバー産業新聞 連載「半歩先の団塊・シニアビジネス」第107回
「不快」な感情を払拭すると消費拡大につながる
本連載で何度も書いてきたように、シニアの資産構造の特徴は「ストック・リッチ、フロー・プア」である(実はこの言い方は和製英語で、英語ではassets rich, cash poorと言う)。
このため、いざ高額出費が必要という時のためにお金を蓄える傾向が強く、普段の生活においては倹約志向が強く、無駄なものにはあまり出費をしない消費スタイルの人が多い。
社会保障や経済情勢など将来に対する明るい展望が見られないために、シニアの3大不安(健康不安、経済不安、孤独不安)がストックをフローに変えにくくしている。つまり、こうした不安がシニア消費の阻害要因となっているのだ。
したがって、何らかの方法でこの不安に加えて、不満、不便といった「不快」な感情を払拭あるいは軽減すると消費拡大につながる可能性がある。これを商品・サービスに応用する際に脳科学の知見が役に立つ。
苦戦が多いシニア向けサロン
04年に上梓した拙著「シニアビジネス 多様性市場で成功する10の鉄則」で「退職者のための第三の場所」の例として、シカゴにあるマザー・カフェ・プラスを取り上げた。
それ以降、多くの企業が、このマザー・カフェ・プラスを真似して「○○カフェ」や「××サロン」を立ち上げてきたが、ことごとく苦戦した。苦戦理由の1つは、シニア向けカフェを平場のラウンジにしてしまうことにある。
平場のラウンジがダメなのは、広いスペースを使う割に、収益源が少ないからだ。それ以上に重要な理由は、そもそも平場のラウンジには人が集いにくいからだ。なぜ平場のラウンジに客が集まらないのか。脳科学の知見がその本当の理由を教えてくれる。
私の所属する東北大学加齢医学研究所は、脳科学研究ではトップクラスの研究所である。先日、マウスを使ったある実験を観る機会があった。それはマウスの大きさに比べてかなり大きく広い箱の中にマウスを入れた時にどのような挙動をするのかを追跡するものだった。すると箱の中に入れられたマウスは、落ち着くことなく、大きな箱の周辺部のみをぐるぐると回り続けたのだ。
実は、こうした広い空間の真ん中では、マウスに限らず人間も含めた動物は恐怖や不快感を強く感じる。それは周りに隠れる場所がなく、敵から丸見えだからである。
人間の行動は情動で決まることが多い
自然界で生きる動物は常に敵との脅威にさらされる。そのため、敵との脅威を敏感に感じ、防衛行動に移す本能をもっている。それを司っているのが、扁桃体と呼ばれる脳の一部位だ。恐怖や不快を感じた扁桃体は、防衛のための信号を出す。それが興奮性の神経伝達物質(アドレナリンなど)を多量に分泌させるため、落ち着かなくなるのだ。
人は周りに囲いがないところにはなるべくいたくない。だから、平場のラウンジは居心地が悪いのだ。電車の席に座る場合も、端の席から順番に埋まっていき、真ん中は最後に埋まる。高齢者施設においても認知症の人は大部屋では落ち着かず、情緒不安定になる例をよく見かけるが、これも同じ理由だ。
こういう脳神経科学的な原理がわかると、逆に居心地の良い空間をつくるにはどうすればよいかがわかる。例えば、シニアに人気のコメダ珈琲は、ボックス型に区画が仕切られており、山小屋のような雰囲気で空間に凹凸が多い。こういう空間は居心地がよいのだ。
脳科学の知見が居心地の良い空間設計に役に立つ
コメダ珈琲の設計者が脳科学的な知見をどれだけ持っていたかは知らないが、こうした理屈を予め知っていると、試行錯誤の幅が少なくなり、商品・サービス開発が効率的になる。高齢者施設においても認知症の人が居心地の良い空間をつくれば、介護従事者の負担が減る。つまり、要介護者・介護従事者双方にとって有益になる。
最近、トイレをあたかも書斎のようにする例が増えている。例えば、福岡市の「天神地下街」に英国人小説家の書斎を思わせるトイレがある。地下街の居心地の良さをアップし、利用者の増加につなげるのが狙いだ。また、自宅のトイレを書斎にして居心地の良い空間にするといった例もある。
これらの例も人間の感情が起きる原理を脳科学的の観点から理解していれば、より居心地の良い高付加価値な商品にできるだろう。